Point No.39


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灯りと素材、そして時間。POINT NO.39 が見つめる “暮らし” のかたち

今回の FEATURE では、 ”暮らし” をキーワードにオーナー杉村に3つのテーマで語ってもらいました。

会話のようにニュアンスや会話の空気感も含め読んでいただきたく、編集を最小限に掲載しております。

Interviewer / Sinzato
 









" 「POINT NO.39」が想う、心地よい暮らしとは? ”

 

やっぱり自分の気に入ったものに囲まれて暮らすっていうとこが一番なんだろうけど。

 

自分としては、そんなに制限を設けるのが好きじゃないっていうか。
自分に対しても人に対しても、こうでなきゃいけないっていうものを、なるべくなくしたい。
自分の規制概念みたいなものは、なるべく取り払いたいっていうのが常にあって。


それもあって、お店の スタイルとしても1920年代のニューヨークみたいな架空のお店みたいなものをテーマとしているけど。 
ニューヨークの1920年代っていうのは、混沌とした世の中でいろんなものが生まれて、
人が最もエネルギッシュな時代だなという印象があったので。

そしていろんな国のものがニューヨークに入り込んで、その中で咀嚼されて生まれていくみたいなとこがあったんで、
そのスタイルも自分たちのお店の中には入り込んでいて、いろんな国のものだったり、時代とか、関係なく取り入れていくっていう。

だからそこの後ろに1本あるのは、やっぱりなんでもいいわけじゃなくて、
素材が良かったりとか、、、何でも良いわけじゃないよね。






やっぱり自分が思うに素材!


あとは作り手の想いみたいなものは、見えるといいのかなって。
言葉にするのは難しいけど、作り手の想いっていうものは、やっぱり物に宿っているような気がして。

そういうものが素材の選び方だったりとか、細かい部分のディテールだったりに現れてくる。
それを知らず知らず、自分たちが感じる。 

 
そういったものを集めて、空間の中に取り込むことで、心地よい空間に変わっていくのかなっていう。
それがPOINT NO.39のスタイル。心地いい空間っていう考え方なのかなと。

 

一番自分もそうなんだけど、やっぱりいいものを見極める目っていうのは持っていきたいなっていう。

そのいいものっていうのは、高いものというだけじゃなくて、デザイナーのものが良いっていうだけではなくて、
自分がいいと思えるものをちゃんと考えて選んでいける、そういう場所・お店であったらいいなっていうのは思ってますね!


 







 

" 暮らしの中の灯りの役割 "

 

杉村:
何度も話に出てるかもしれないけど、もともと海外の買い付けから帰国してきて、
高速に乗って車で帰って来る時に、東京湾の高層マンションの窓ガラスの光の色が白いっていうのが、印象的で。 

日本はまだまだ照明との付き合い方に、入り込む余地があるのかなっていう所が始まりなんだけど。

実際これまでの自分の暮らしの中で、オレンジ色の光以外のもので過ごしたのっていうのは、幼少期とかの実家ぐらいかね? 新里さんはどうですか?
 

新里:
私の実家はシーリングライトでした。
シーリングライトでそれが当たり前になってたので選択肢があるのは知るつつも、変えるのはそれこそ手元のスタンドライトか。。
作業灯みたいなものだけは手軽に変えられるけど、実家に住んでいた時は、シーリングライトを外せるっていうのもそれこそ知らなかったので。

 

杉村:
知らないよね。。

 

新里:
もう付けたらそのまま一生これだ!みたいな。
で、それこそ実家を出たタイミングで、初めて自分で照明を取り換えられると知りまして照明を好きなものに替えました。

ああ、こんなに夜が楽しいんだ!

と思いましたね。




 

杉村:
いやー本当にそう。

光の色が変わることで、物の見え方っていうのも変わってくるし。
よくお客さまにも話すのは影の輪郭だったりとか、そういうものも変わってくるから。

今、電球の色温度で言うと 2200ケルビンとか 2400ケルビンが 心地よい色なのかなって思うけど、、、
実際夕日の色って言われているからね。


人間と夕日の色っていうのは、夜になっていく準備というか、、、そういう光の色なのかもしれないけど。


でも、実際聞いたことあるのは、日本では白い光が多いのは、戦争経験者をおじいちゃんとかに持っていて、
その方たちが夜暗いのが怖いというところで、、煌々と明るいひかりへ。

で、それに慣れた自分たちの親世代が、そのまま生活の中に取り入れているっていうようなのは聞いたことがあって。
そういう時代の背景っていうのもあるんだろうけど。

でもだんだん今の若い世代の人たちの住まいは、大分赤色の光に変わってきているのかなっていう。

 

新里:はい、そうですね。

 

杉村:
自分たちの本当に小さな積み重ねの提案とかが、わずかでも身を結んできてるのかもしれないけど。
そういう暮らしの中の光の見え方みたいなものとか、光の取り込み方、提案の仕方っていうのは、
そういったところから来ているのもありますね。
 

 




 


経年変化したもの、していくものたちが暮らしの中に与える良さとは?

 

実際、人とかも年は取っていくし、暮らしてる家とか家具、建て具 、そういったものも経年で変わっていくわけで。
その中で、金属の物だけがピカピカのまま経年しても何も変わっていかないっていうのは不自然であって、、、何か気持ち悪い。
そこは逆らってはいけないんじゃないかなっていうのが根本にあります。


経年変化していくもので美しいなって思うのは、やっぱり人でもそうだけども、いい人生を送ってるなこの人!とか、
いい生き方してるな!って言う人ってやっぱり表情にも出たりとか。
そういうのもあると思うので、それは物も、商品としても、そういうものは表情に出てくるのかなっていうのは思います。

 

ただそれを 、その経年変化って美しく経年変化していくっていうのに耐え得るような素材を持った商品でなければ、
そこまでには姿を変えていけないので、最低限マテリアルの部分はいいもので選ばれたものじゃないといけないのかなっていうのは思いますね。





経年変化を取り込むっていうのは、過去に自分も、綺麗なイタリアの家具が好きだったりとか、デザイナーものが好きだったりっていう時代もあり、
それらを否定するつもりも全くないんだけど、個人的に疲れちゃったっていうのがあって。

常に綺麗にしていないといけないというか、小さな傷とかが気になってしまう。
自分を癒すために購入した家具なのに細かいところが気になってしまって。
 

それで自分が何か追われてるみたいな気になってしまい、、、
そういうものにモヤモヤしてる時に、ヴィンテージっていう古いものに出会う。

 

で、何故これってこんなかっこいいんだろうなっていうとこからの追求。

傷ついているのに傷が傷じゃない。この傷 1個もかっこいいよなあっていうのを、
ハテナっていう風に頭の中で浮かべて、そのハテナをどんどん細かく刻んで、
それがどこに行き着くのかっていうのを自分の中で調べたら、やっぱり素材。



 


素材と大元のデザイン。その素材を選ぶのも、やっぱりデザインなんで、
昔のモノっていうのは技術がそこまで発達してないから、それに当時の素材も限られたものだっただろうし。


その中で作られたものなんで、当時は一番なんだけど、今は技術的にもっとコストかけずに、素材も使わずに作れるかもしれないけど。

でも、やっぱり昔のものは、ものづくりに全力投球でどんだけお金かけても原価かかってもいいもの作ろうっていう。
そういった時代のもの、そのように考えた職人さんが作ったものが、今でも残っていてかっこいいなって思えるのかなって。


新品古いもの関係なく、新しいものでももちろんいいものってすごくたくさんあるし、それらを区切ることなく、

自分はこれは古いものだけど好きだな、
新しいものでピカピカだけど、素材がいいから馴染んでくれるよなって

いうふうなもの選びができるといいのかなって。 
 

そこは、やっぱり自由。
 

もっと海外みたいに、日本のインテリアって自由であるべきだなっていうのが一番ですね。

固定概念に囚われすぎてる感じはあるんで。
もっともっといろんな海外の人たちのインテリア見たりとか、ものを見ていくべきだよなっていうのは思います。